月と踊る





 いつもと変わらない夕暮れ。
 マサオミは自分のバイクにビニール袋に入った持ち帰り牛丼を大量に積み、鼻歌交じりで天神町を走っていた。
 向かう先は一軒の古アパート。天流の太刀花リク、その居候の地流の飛鳥ソーマ、さらには太白神社からやってきた天流の闘神巫女ナズナ、大所帯だ。
 ……敵が。
 とはいえ自分は今『天流闘神士』を装う身、なあにこのバイクに積んだ牛丼さえあればイチコロさ、と、牛丼をこの世で一番素晴らしいジャンクフードと信じて疑わない大神マサオミは、新商品のうな玉ハーブチーズとろがけトマト牛丼のポスターを視界の端に留めながら風切るスピードを上げた。
「子供はいいねぇ」
 そんな言葉を呟きながら。
 だが、いつも通りの様子見のつもりだったマサオミはリクのアパードにたどり着き愕然とすることになる。
 アパートに近づくと道路の真ん中には、向かい合いナズナの肩に両手をかけているソーマの姿があった。
 ふざけてクラクションを鳴らす。
「ヒューヒュー!熱いねぇーお二人さーん!」
 ほんの挨拶代わりだった。
 だが、二人はそんなマサオミに気付くとゆっくりと顔を上げるだけで何のリアクションもない。
 リアクションの薄さにマサオミはだめ押し代わりに持ってきた袋を左手で掲げて大声で呼びかける。
「やぁ、聞いてくれよー!幻のハイパー牛丼、四つも手に入れたぞー!」
 やっと二人が嬉しそうにこちらに注目したのでマサオミは作戦成功と心の中で笑った。しかし二人の笑みは牛丼に対しての物ではなかった。
 未だ不審を持つ自分に対してですら頼りたいほど彼らは窮していたのだ。
 泣きそうな声でリクの事を訴える二人の言葉。
 思わず手から地面に落ちるビニル袋。
「馬鹿な……」
 マサオミは信じられず否定する。
「昨晩……」
 ナズナの落胆した様子。
「リクが負けるわけ無いだろうが!」
 マサオミは太刀花リクの部屋へと駆け出していた。




 リクの幼馴染のモモ、彼女によってリクの部屋から追い出された闘神士達。
 アパートの二階、リクの部屋の直上にあるナズナの部屋。ソーマもここに居た。
 ソーマはリクの部屋に居候していたが、全てを忘れてしまったリクの元には居られなくなったのだ。
 リクの記憶と契約について一通り話をしたマサオミもここから去り、今夜もまた拠り所も無く窓から外を見るナズナ。
 丸い月が夜を和らげ浮かんでいる。
 マサオミとその式神青龍のキバチヨによってリクと白虎のコゲンタの契約は完全には切れてはいないと知らされたものの、リクがその気にならなければ『名落宮』から式神を連れ戻すことは出来ない。
 窓から天を見あげるナズナ、テーブル横に座っているソーマ。
「宗家を失い――――私達天流はこれからどうしたら………」
 ナズナの口から小さく漏れる言葉。何度と無く思わず漏れた呟きだ。
 だがそれが余裕無いソーマの心を引っ掻いた。
 突然の大声。
「お前さ!昨日からそればっかり!リクの事はどうでもいい訳?宗家、宗家って、リクが宗家じゃなかったらどうでもいいのかよ!宗家だから付きまとってるのかよ!」
 その声に振り向き少し驚いた表情を見せるナズナ。その後無言で唇を咬む。
 ――――――あ。
 ソーマは後悔した。
 傷付いた顔をした、いつかの自分みたいな。そんな目の前の少女の表情に言葉が出なかった。
 そして自分のことを思い返す。
 自分だって―――自分の事ばかり………。
『…僕はこれからどうやって……』
 何度も呟いていた言葉。
 ソーマは自分が言ってしまった言葉に沈黙した。
 しばしの間静寂。
 窓の外から届く町のざわめきと、遠くからの夕餉の気配が羨ましかった。
 二人の沈黙を崩してナズナが口を開いた。
「………天流の人間は待ち続けてきたのです、言い伝えられたその言葉を信じて。『千年の後天流宗家再び現れる』千年前に姿を消した―――本当はもう終えてしまったかも知れない宗家の血筋を」
 ナズナが天流について、自分のことについて話してくるのは初めてだった。
 彼女自身は気付いていなかったのかもしれないが、地流の者と邪険にしていたソーマに向かいそんなことを口にするという事はそれだけ気落ちしているのだろう。
「私の母も、祖母も、曾祖母も、古より血を連ねて私に繋げて来た先人は伝承をただ信じて待ち続け――――死んで行った、遺跡の守り人として」
 少女は大きく息をつく。
「それが、現れた」
 ナズナは困ったような、安堵したような、そんな表情だった。
「宗家の出現は天流千年の宿願、私は天流の末裔、どうしてこの役目から逃れられましょうか………!」
 俯きながら強く言うナズナ。
 ソーマも地流の昔語りを多少は知っていた。
 地流はいつからか野に下り、山野に散り、ある者は自分の出自を捨て、ある者は自らの由来を忘れて行き、ある者は己の役目を背負い妖怪と戦い、人々と交わり、その存在を消していきながらも、人としての生を享受していた。
 ミカヅチは今この現代において、そんな地流の人間を再び集め闘神士の集団を作り上げようとしていた。
 自分はそれを良しと思えず、ここに居る。
 昔々の縁、いや、そんな古いしがらみによって現在を歪められるのを。
「私達を哂いますか、地流の者。愚かと哀れみますか」
「……………………」
 ソーマは答えられなかった。
「リク様は―――大切です。天流の闘神巫女として仕える人としても、そして天流の闘神士の仲間としても、兄のように、家族のように、心配することが許されるのでしたら」
 ふっと張り詰めた空気が消え、優しい顔で言う。
「――――ひとりの人間としても」
 だがナズナは悲しげな表情を浮かべた。
「だけど…………私がリク様に押し付けていた期待が重かったのだとしたら、私がリク様に無理をさせていたのだったら…………私は、どうしたらいいのかなんて―――――」
 ナズナは深くうなだれ言葉に詰まった。
 ソーマは何も言えず彼女の姿を見ていたが、ふと今まで泣いていた自分に気が付く。
 泣いていることしか出来なかった自分に。


 ユーマ、ソーマ。私たちはみんなの笑顔を守るためにここに居るんだ


 急に父の言葉を思い出す。
 父は地流というものを父なりに受け止め、そしてあの神社で暮らしていた。山深い里で皆の為に働きながら。自分は今でも天流とか地流とか、そんな大きなものに振り回されて泣いていることしか出来ないのだろうか。
 大きな事を言って地流を飛び出してきて、未だに泣いているだけなのだろうか。
 ぐいっと自分の頬を拭う。
「泣くな!お前はいつも言っていたんだろ!『リク様は大丈夫だ』って!」
 その声にナズナは顔を上げる。
「信じてたんだったら最後まで信じてやるんだ!僕は―――父さんと同じことを言ってくれたリクは正しくて、強いんだって信じてる―――――だから僕はここに居るんだ!何が出来るかわからないけれど……リクを信じる事くらいはできる!マサオミだって言ってただろう、コゲンタを助け出すのも……リクの心次第だって」
 一気にまくしたてられてナズナは何度か瞬いた。
「……そんなこと、地流の者に言われなくても分かっています!」
 そしてソーマの方に向き直る。
「――――――――――」
 ナズナは何か言おうとした。だが思い直した風に言葉を続けた。
「………あなたの方が沢山泣いていました。だから私は泣いていられません!」
 いつものしっかりした声だった。
「何をっ……!」
 ソーマは凛々しく前を見るナズナの視線に射られはっとする。
 しかし一瞬後の言葉を聴いて思い直す。
「まぁ、なんて言い草でしょう。行くあてが無いあなたに布団まで貸してさしあげましたのに、これだから地流の者は……!」
 いつものナズナだ。
「うるさいな!泊めてくれって頼んだわけじゃないよ、お前が心細そうな顔でどうしてもって言うから仕方なく……」
 売り言葉に買い言葉。
「はぁ?あなた自分の立場が分かっていますの?このアパートの居候ですのよ、い そ う ろ う !リク様のお客を追い出す訳には参りませんし、仕方なくお泊めしたのですよ」
「リクが僕に居ていいって言ったんだからお前にとやかく言われる筋合いはないね!お前が来いっていうから仕方なく泊まってやったんだ!」



 窓の外まで響くような言いあい。
 アパートを外から遮る生垣の陰、道路の端にはまだ帰らずにリクの様子を伺うマサオミが居た。
 ソーマとナズナの会話を聞くつもりは無かったのだが結局聞こえてきてしまう。
 ―――天流と地流でも仲の良い事で。
 そして声に出る。
「子供はいいねぇ、………わだかまりとかしがらみなんてすぐ忘れてしまう」
 ふっとナズナの言葉が頭に甦る。

 宗家の出現が天流千年の宿願だという事は貴方も天流だったら分かっているでしょう

「………ナズナちゃん、天流宗家を千年待っていたのは君たちだけじゃないんだよ」
 そう呟いて苦く笑う。
 しかし――。
 マサオミは苛立ちに爪を噛み呟いた。
「このままでは全てが終わりだ。全てが―――――」
 月浮かぶ天を仰ぎそう言葉を紡いだ後、アパートの引き戸が開く音がする。
「あのっ………!」
 急いた少年の声。駆け寄って来るその表情は必死な様子だ。
 襟元を掴まれ詰め寄られる。
「すみません、教えてください!どうすれば……どうすれば思い出せるんですか!」
 リクはマサオミを正面に見つめそう訴えた。
 目には涙を浮かべている。
「リク………!」
 二階の窓からはナズナ、ソーマが顔を出しリクを見ている。
「思い出したいんです!僕が無くした大切な事を!」
 その声に覗き込む二人は表情を緩ませていた。
 そしてマサオミも安堵していた、リクが闘神士として立ち向かおうと決意した事に。
 己の望みが果たされる、その目的の為に。




 月は皆を照らし地面に影を落とす、夜の闇迫る空は暗く進む道を隠す。
 それでも、前へ進もうとして皆懸命だった。
 その先に何が待っているか知らないまま、知る由も無いままに。






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