霜月恋歌
結局、自分は都に戻りたかったのだ。あれほどまでに嫌悪していたはずの汚れた場所に。 あの隠れ里は眩しすぎて、美しすぎて、憧れ慈しみながらも目が潰れそうな程の苦しさを感じていた。いつか自分の過去の暗闇を、心の奥底までをも見透かされてしまうのではないかと。自分はあの場所に居られたくなるのではないかと。 だから皆を自分と同じ場所に置きたかったのだろう。そうすれば全て上手く行くと、永久に恐れるものは無いと。 弱かった。全てを失ってもその幻に縋るほどに。 タイザンは鉛のように、重く言う事を聞かない身体を引きずり倒れるオニシバの傍らに跪く。 「旦那――――悪いがお別れだ」 地べたに倒れたまま動こうともしない……出来ずにいるオニシバを覗き込むように 灼ける、乾く。身体が酷く痛くて、そして熱い。 落ちてくる白い花弁。 冷たくて、頬に触れて、身体に触れて、ほんの少し楽になる。 タイザンの乾いた唇が動く。 「………すまぬ、オニシバ――――――」 苦しかった。仲間であるはずのガシンにすら明かせずにいた言葉や出来事。負っていた汚いもの全て。 この式神はそれすら知っていた筈なのに。 乱暴で、身勝手で、そんな契約者でしかなかった。それでも己の身を捨ててでも付き従いここまで共に辿り付いてくれた、たった一人の友。 何を返せるというのだろう。契約で縛りつけていた相手に。 ――――お前さん、あっしの名が散る時 笑ってくれやすかぃ―――― ―――笑顔が、不思議と浮かんだ。 初めて会った時、契約した時にオニシバが自分をからかう様な調子で言うものだから思わず笑ってしまったのを今でも覚えている。 「……いいって事よ」 胸に穴が開いているからか、ひゅうひゅうと漏れ出す息が耳の中で煩く響く。 目には鉛色の空から降りてくる白い花と、何故だかひどく幼く見える契約者の顔が映る。 ああ……いい笑顔だ。初めて坊と会った頃の―――一番好きだった……笑顔………。 「アンタと歩いてきた道に―――――花は、咲いていやしたぜ」 あの時、止めようと思いながら。止めなかったが為に負ってしまったあの子供の業を。一緒に負って歩けた事は災いか、幸いか。 大極の神が定めなさった契約、この世界の理により。 全て、持って行く。 何もかも――――――――。 だから再び会う事があったとしてももう思い出す事は無い。 この笑顔も、誰も知らず、誰が忘れたとしても。 自分が持っていく。 手向けの笑顔も、恐らく己以外の誰の為にも零す事はないこの涙も。 千二百年の苦しみも。 タイザンの頬を一筋伝った涙が落ちるよりも先に獣の姿をした霜花の式神は光に包まれる。 それはまるで雪が消えるように。 呆気なく、幻の如くその姿は光る花弁となり、空気に溶けた。 契約の名、オニシバ。 それが消えるのと共にタイザンも崩れ落ちた。 「―――――――」 タイザンは何かを呟こうとして、形に出来ないまま意識を失った。 ◆ TOP ◆ |