夏の道草
灰色の空から降りてくる雪は紛れもなく冬の色。 季節外れにしては余りにも堂々とその存在を示して、庭の緑や、屋根や、道や、町全てすっぽりと覆い尽くしている。 カレンダーは九月、夏休みの後の新学期。 こんなのは生まれて初めてだと町の人たちも口をそろえて言っている。 こんなめちゃくちゃな季節の原因は不明。 不明だと、皆は言っている。 「りっ君早くぅ〜!」 そう声をかけるモモの横にはリナとリュージ。始業式の日、リクを家まで迎えに来たのはボート部の面々。 夏休み最後の日、居なくなってしまったリクの帰りを待ち続けていたモモ、そしてリナとリュージ。夜遅くになってやっと『明日の朝帰る』とリクの家で待つナズナに電話があった。 「……………………」 それで、ずっと不安そうな顔をしていたモモはやっと少しだけ笑った。 翌朝。早くからリクの家に集まった彼らはリクの帰りを待っていた。リュージは野菜を山のように持って、リナは得体の知れないお守りを持って、モモは誰よりも早くに、笑顔で。 「お帰り、りっ君」 いつもの声で迎えた。 皆揃っての通学途中、雪に足を取られて前のめりに転んでしまうモモ。 「りっくぅ〜…………ん」 「はいっ!」 何処の穴の底から響いてくるのかというほどの低い声で呼ばれてリクは慌てて姿勢を正し直立する。 「早く起こしてよ!幼馴染でしょうっ!」 キンキンと響く声でわめき散らしながら雪の上に倒れたままで暴れるモモ。 「はいはい………」 リクは少し呆れたような顔でモモに歩み寄る。 モモは身体の向きをかえて手を伸ばす。 自分に向かって伸ばされた手をしっかりと握りしめるリク。 二人は手をしっかりと握りあった。 モモは、いつものリクの手だと思った。 始業式の学校では特に何事もなく。 体育館で校長先生の話。いつもの話のほかに天気が悪い間は自転車通学の人は気をつけろとか制服はどうとか、ストープは急いで準備中とか。 天変地異とかテレビでは大騒ぎしている割に自分達の身の回りで出来ることといえばささやかな事ばかり。それも天気に対してどうするかであって、天気をどうするかではない。 それはそうだ。そんな事は普通自分たちがどうにかできる事じゃない。 始業式も終わり、こんな天気じゃ部活動もままならない。今後の事は明日また話し合う事にして今日は午前中で学校から帰る。 明日からどうなるのか、漠然とした不安だったり、希望だったり。 リクとモモは並んで歩く。 「………天気、明日も悪いみたいだね」 モモは何気なく言っただけだったがリクは又何事か考え込む。 「………………………」 私たちは天気なんてどうにも出来ない。だから早く良くなればいいねと祈るばかり。 だけど、今のリっ君にはこの天気をどうにかできる、この天気をどうにかするために大変な事をする。そんな事が何となく分かっていた。 りっ君は素直に見えて実は結構強情だったり捻くれている所があって。例えば勉強とか、やればできるのに自分からはやろうとしない。本人は気が付いていないのかもしれないけれど。 そんなリクが自分から。何かも分からない物にぶつかっていくと自分で言った。 自分で決めた。 止めたけれど、聞かなかった。 リっ君のお爺ちゃんは。 今まで何事も無く一緒に暮らしてきたリっ君を何も出来ずに大変な所に送り出すのが辛かったんじゃないかとふっと思う。 リっ君にも内緒な仕事をしに何処かに行っているのかもしれない。それでもできるだけ家に戻ってくればいいのにと思うけれど。それと同じくらい、今こうやって何も出来ずにここに居るのは、辛い。 何か少しでも出来る事があるのなら、そうしたい。 その気持ちが今は分かる。 笑って、いつもの自分で居る事位しか分からない。そして帰ってきてねと、帰ってきてくれるのを待っているという事しか出来ない。 大切なのに何も出来ないのは、なんて悲しいんだろう。 白い息が空気に溶けた。 二人の沈黙を破ったのは珍しくリクの方だった。 「寒いね、何か買ってくるよ。カバン見てて」 朝からずっといつもとかわらないリクに見えたが、リクはリクなりにモモに対して思うところがあったのかもしれない。掴む手を振り解いたあの時の、いつもは見た事が無いモモの悲しそうな顔に。 記憶を失ったリク。それでも何処か危ないところに自分から飛び込もうとしていたリクをモモは引き止めた。 引き止めた、しかしその手はリクの意思で振り解かれた。 願う言葉は届かなかった。 リクは誰も居ないバス停のベンチに鞄を置くと、財布だけ持って少し離れた自動販売機に駆けて行く。 遠ざかるリクの姿、雪上に靴跡を残して。その足跡にもすぐに雪が積もっていく。 モモはどれにしようかと迷っているリクの後姿を見ていた。 ふと手元のリクの鞄を見ると、いつもリクが大切そうに持って歩いている白くてごろんとした何かが目に入った。見た事がある、リクはこれを持って。 ――――戦っている。 モモはリクの鞄から下がっているドライブに触れて囁く。 「ねぇコゲンタ」 自分から呼びかけたことなんて無い。そこに居るのかも分からない。 「コゲンタは神様なんだよね。……私のお願い、聞いてくれるかなぁ」 そして、小さく、呟く。 「りっ君を、守ってあげてね」 そう祈る事しか出来ない。 「私には、何も出来ないんだもん―――――」 悲しげな呟き。 『………そうでもないさ』 そんな小さな音が雪の降り積もる音に紛れて、消えた。 雪を踏む足音。 「モモちゃんお待たせ。おしることスープどっちがいい?」 戻ってきたリク。見るとコートのポケットの右と左に何かが入っている。 「………おしるこ」 モモは言う。 「はい」 リクは笑ってモモに右のポケットから取り出した缶を手渡す。 白い息が空気に広がる。缶が暖かい。 いつか冷えてしまうかもしれないけれど、でも今は。 こんなに暖かい。 「雪………まだ降るみたいだね」 「うん………………」 「………………早く晴れるといいね」 うん、とは。 「………………」 答えられなかった。 手を伸ばすしかない。それしか出来ない。 ここに居るよ、ここで待っているよと声を出して。 「―――――りっ君、帰ろう」 それでも。私はりっ君のことが大好きだから。 「うん」 そう答えたりっ君の手を掴むんだ。 夏なのに指先が冷える。 空は灰色。 コートのポケットの中に入れたおしるこの缶だけが暖かい。 「………………帰ってきてね」 「え?」 「ううん、なんでもない」 モモはいつも通りに笑った。 「雪、止むといいね」 「………………………うん」 リクは灰色の空を見あげた。 モモには見えない遠い場所を。 ◆ TOP ◆ |