冬の空
小さな男の子が泣いていた。 男の子なのにポニーテールしてる。変な髪形。 変な格好、お祭りのときの着物みたいなのを着ている。 寒空の下で一人でわんわん泣いていた。 草も枯れて平らになっている野原の真ん中、ほかには誰もいない。 「どーしたの」 と聞いた。 泣いてばかりの男の子はよく分からない言葉でよく分からないことを言った。 ただ分かったのは。 「かえりたい」 それだけだった。 家鳴りの気配がして夜中に目を覚ます。 「…………………………」 部屋の外から床が鳴る音、勿論こんな夜中には誰も起きては居ない。 ううういやだなぁ、とモモはベットの中で身を縮こまらせる。 中学生になるちょっと前から一人部屋を与えられてここで眠るようになったのはいいものの、トイレは一階だし廊下は暗いし向かいの物置部屋からはミシミシ音がするし。家族と一緒に眠っていた時は気にならなかったのに一人だとなんとなく不気味だ。 それは家が軋んでいる音よ、とお母さんは言うけれど。 お化けとか幽霊とかの存在を信じる信じない以前にその類をばっちり見てしまって、しかも向かいの家に住んでいるとあってはカーテンだってお化けに見えてくる。更に相手は真昼間からリク君に取り憑いて学校にまで来ているらしい。 「霊感とか無くて良かったのかも……」 モモは布団に包まってげんなりと溜息をつく。 中学校に入って友達になったリナちゃんはその辺強いらしくリク君の方をよく見たりしているけれど、本当に『お化け』を見ているのかなぁ。 お化け。なんだろう、なんなんだろうあれって。 私なんてずっと前からリク君見てたんだから、リッ君とは幼馴染なんだから。 「…………………………」 薄く目を開けて天井を見る。しかし何かが覗き込んで来ていそうですぐに目を閉じる。 目を閉じながら何か楽しい事を考えようと思って、リッ君との思い出とかを思い出そうとする。 一緒に幼稚園に通った事、一緒に遊んだ事、小学校に上がったときは家で一緒におめでとうってパーティをした。 そんなただの隣の家の子だったのに。 好きだなぁ、って。 最初は新しいクラスの子達にからかわれたのが恥ずかしかっただけだったのに。 なんだろう、どうしてだろう。 リッ君のことを考えると胸がドキドキするよ。 きっと好きなんだろう、好きになったんだろう、いつの間にだろう。 そう思っていたら何となく暖かくなって、そして眠たくなった。 ピーッ、ピーッ、ピーッ、ピ……………バチン。 休みの日だというのに目覚ましの音で目を覚ます。 何事か考え込んでいるうちに眠ってしまったらしい、気が付いたら朝だった。 リッ君の懐かしい夢を見た気もするけどよくは思い出せない。多分昔から時々見る夢だったと思ったけど……なんだったっけ。 多分昔の夢。昔から一緒に居る夢。 …………そういえばリッ君は今は隣の家には居ないんだった。お爺ちゃんに言われて京都に行っているんだった。今週は学校も休んでた。 リッ君のお爺ちゃんはよく私に『リクの事を頼むよ』と言っていた。 お母さんがお婆ちゃんと話していた事がある、頼る身寄りが他に居ないから自分に何かあったらってリク君のことを本当に心配しているんだろうねぇって。だから結構お父さんとお母さんとリッ君のお爺ちゃんは色々な事を話していて、リッ君のお爺ちゃんが入院した時の手続きとか連絡とかはお母さんが色々やっていた。リッ君が慌てて探していた保険証をタンスの引き出しからすぐに見つけ出したのもお母さんだ。 家族みたいに一緒だった。 「迎えに行きたいの!」 と言ったのは昨日。 お爺ちゃんに言われたとはいえリッ君が場所も分からない太白神社を探しに一人で京都に行ったというのが心配だ。いいや、心配というのは本当だけれど、もう子供じゃないんだからというのも分かっているけれど。 迎えにいこう。 モモはどうしてそこまでするのか自分でもよく分かっていなかった。だけどごくあたりまえにそうしようと思った。 ずっと一緒に居たんだから。 リッ君の泊まっている場所はモモの家の人に電話で連絡してきているので分かっている。リク君やお友達と一緒に遊んでらっしゃいと小遣いも出た。 「…………リッ君、京都で楽しくしてるのかな…………」 一緒に行った病院で。何を言っているのかよく分からなかったけれど、お爺ちゃんとリッ君は何か大切な話をしていた。 帰ってくるよね? 当たり前だよ、帰ってくるよ。だから自分はいつも通りの元気な声を出して、そしてリッ君を連れて帰ろうと思った。 この街へ、リッ君の家へ。 「リッ君いるーっ?」 太白神社、甲高い声を上げて突然社殿に飛び込んできたモモ。リクを連れに来たと喚いていただけなのにいつの間にかナズナと険悪な雰囲気になっている。 「こんなんじゃ、治るもんも治らねェ…………」 騒々しさに耐えかねたコゲンタのその呟きで結局モモ達と街に行く事になったリク。 出て行き際、今まで式神達を無視するかのように素通りしていたモモの視線がふと床に横たわっているコゲンタに止まった。 「………」 ほんの一瞬の視線。少し棘のある目つきでコゲンタを見ていたことを彼女自身は気が付いていただろうか。 コゲンタはそれには気が付かないふりをしてリク達の背中を見送った。 「ねこしゃ〜ん…………」 リクに引きずられて去っていく半泣きのリナがこっちをうるうると必死に見ているのはあえて無視した。 「…………………………」 かしましい面々が出て行ってやっとで落ち着きを取り戻す社殿。再びナズナは回復の印を唱える。 コゲンタに治癒の力が効いてきた辺りでそろそろ先程から溜め込んでいた鬱憤が噴出したのかナズナが声を張り上げる。 「それにしてもさっきの!なんでしょう騒々しい!それにコゲンタ様が傷付いている事くらい見れば分かるでしょうにあれはなんですか!」 ナズナが大声の独り言のようなふりをしてホリンに愚痴る。ホリンはただ笑って聞き流していた。 「仕方ないさ、リクと幼馴染って言ってたしな。あいつは多分俺がリクを何処かに連れて行こうとしてるってのが頭のどっかで分かってるのさ」 ぎょっ、とホリンとナズナの二人がコゲンタを見る。 「…………何だよ」 信じられない言葉を聞いたような顔で見下ろしてくる二人の視線をコゲンタは眉根を寄せた顔で返す。 「い、いやコゲンタはんはそういう事言うお人とは思ってなかったんで………」 しどろもどろにホリンが返す。 どういう意味だよとコゲンタは思うがその辺は無視して不貞寝のような顔で言葉を続ける。 「俺達式神は闘神士と契約して戦う事を宿命としているし、闘神士は式神との運命を否が応でも受け入れる。だけどその周りの人間にとって式神ってのは厄病神にだって見えるって事さ」 そう言ってコゲンタは笑う。 「………なんで、笑いますの?」 ホリンは言った。 「リクはそれだけまわりの奴等から大切に思われてるって事さ」 それを聞いてナズナとホリンは少し笑った、自分の闘神士自慢にも程がある。 少し真面目な顔になったコゲンタは更に呟いた。 「本物の疫病神にならねぇように、気ぃ引き締めてかからないとな………」 夕方、帰郷するリクを見送ったナズナ。 小さな溜息と共に今日のことを思い返す。 結局あの喧しい子は最後までこちらに敵意むき出して去っていった。リク殿に過度の好意を持っているというのがまったくもって分かりやすい。しかしリク殿はそれに気が付いていないようだったけれど。 ―――リクを何処かに連れて行こうとしてるってのが頭のどっかで分かってるのさ ナズナの頭にコゲンタの言葉が頭を過ぎった。 リク殿は何も知らなければ普通の人としてそれなりに平穏に今も過ごしていたのかもしれない。彼女は必死に天流に関わるものからリク殿を引き離そうとし、彼女と同じ場所に戻そうとしているのだとしたらそれは愚かな事だとナズナは思った。 天流の巫女として思うならばそれは愚かで無駄な事だけれど。 「………………」 闇に光る紅の眼と、大気を震わす咆哮を思い出して。 人としてなら、少しは判る気がした。 モモとリクは道を歩いている。 帰りの新幹線では皆でお喋りをして、電車に乗り換えて街まで帰ってきて駅でばいばい。そして二人揃っての帰り道。 もう空は真っ暗だ。 他愛の無い話をするうちにリクがぽつり呟いた。 「モモちゃん、僕、京都で、……いい夢を見たんだ」 ふうん、とモモは言って、そして尋ねる。 「どんな夢?」 そう聞かれてリクはちょっと困ったような笑顔をして言った。 「…………………忘れちゃった。でも、いい夢だった」 「ふーん………」 モモは笑う。 「リッ君らしいね」 「うーん…………」 リクはそう言って小首をかしげる。 どんな夢だったっけ。 よく覚えていないけれど、暖かくて、優しくて、嬉しくて。 そして起きた時少し切なかった。 大きな桜の樹と笑顔の夢。 「………………………………」 あ、又だ。とモモは思う。 最近時々リクがする目つき。何処か遠い所を見ているような、見たことの無い顔。 遠くに居る、知らない男の子の顔だ。 そんなリクの横顔を見ているうちに、風が散っていく桜の花びらを運んできて二人の周りに雪のように降った。 「……………………あ」 雪の幻に、モモは突然今朝見た夢とその続きを思い出した。 寒い野原に一人で泣いているのはみんなで探していた迷子の男の子。 おうちに居なさいって言われていたけどモモもこっそり探しに来た。騒ぎになる前、二階で遊んでいたら窓から男の子が竹やぶ向こうの誰も居ない空き地のほうに歩いていくのが見えた。おしえる前にママは外に行ってしまった。 本当は一人で遊びに来ちゃいけない遠いところ。 野原の真ん中で小さな冷たい手を取る。寒空の下ずっとこんな所に居たからかすっかり冷え切っている。 モモはあったかいのに。ぼうし、マフラー、もこもこの服。ママが着せてくれた服があるからあったかいのに、この子はとっても寒そうだ。着物だと思うんだけど自分で着たのかあちこち隙間があいて何だか変な格好だ。 「いえがないよ、どこにも、だれもいないよ」 小さな子は泣きながら空を見上げる。 「おうちはあるよ、おじいちゃんがまってるよ」 みんなで探していた。だからモモは言う。 「ひとりぼっちでさむいよ、さみしいよ…………!」 そう言ってわんわんと大声で泣く子、頬を赤くして大きな声で。 「…………モモがいるよ!」 出した大きな声に驚いてその子は泣き止む。 「モモがいっしょについていてあげる、だからおうちに帰ろう!」 そう言って笑って、ママが巻いてくれたマフラーをその子の首に巻いてあげた。 「…………いっしょに」 その子はやっと笑って手で自分の顔をこすった。 「うん」 大きな返事に返ってきたのはぼろぼろの笑い顔。 「かえろう」 灰色の雲は雪を落としてくる。 男の子の手を取り引っ張り、子供にとっては遠い家への道を急ぐ。 息が白くなる雪の空、あれは冬の日の出来事。 ずっと遠い日の出来事。 「……………かえろう、家に」 モモはリクにそう呼びかけると昔帰り道でそうしていたようにリクの手を取ろうとする。 だけど手は止まる。 ずっと一緒だった。リクの事は結構何でも知っているつもりだった。だけど幼馴染の小さなあの子は、いつのまにか私が知らない男の子になっていく。 知らない場所を見るこんな男の子は知らない、だから。 「…………リッ君は、ただの幼馴染なんだから……………………」 「?」 リクは、どうしたんだろうと思いながら、その名前のように頬を桃色に染めた少女の手を取る。 「!」 「………どうしたの?」 湯でも沸きそうにくらい真っ赤に染まってしまったモモの顔にリクは目を瞬かせる。 「な、な、な、なんでもない!」 モモは何でもないんだから、と強く手を握り返す。 「じゃ、行こうか」 「……………………」 二人帰り道を行く、辺りには誰も居ない。 中学生になったのに手をつないで歩くなんて小さな子供みたい、真っ赤になりながらそうモモは思ったが手を解こうとは思わなかった。 手をつないで引っ張って歩いているつもりだったのに、今は手を取って先を歩いている男の子。 桜が咲いている暖かな季節なのに指先はドキドキして冷たくなったり熱くなったり。 モモはふっと思い出したように言葉を出す。 「………………雪のとき、こうやって一緒に帰ったこと、あったよね」 「そうだったっけ?」 「昔、ずっとむかしの小っちゃい頃。リッ君が沢山泣いてたころ」 ははは、とリクは笑って返事をしなかった。忘れてしまったのかもしれない。それとも自分の記憶違いかもしれない。 結構昔から何度か見る夢なのだけれど、本当の事だったのか夢の中の出来事なのか自信が無い。何せあれがリクだとしたら自分だって随分と小さな頃だ。本当に覚えているものなのかどうか。 あの野原はもう無い。 あの夢は本当だったのかどうかは分からない、だけど。 私はリッ君と一緒に居るって約束したんだ。 「かえってきたね」 モモは言う、向かい合わせに建つ家の前。 「おやすみモモちゃん。お父さんとお母さんにありがとうございましたって、お願い」 「うん、おやすみなさい」 二人は挨拶を交わす。 「またあした」 そう言ってモモは笑った。 「また明日、モモちゃん」 リクは答えた。 またあした、その言葉を聞いてモモは安心する。 「うん」 そして二人は自分の家に戻り、いつも通りに床に付いた。 今日は冬の夢は見ない。 ◆ TOP ◆ |