|
楓
気がつくと病院のベットの上だった。 神社の石段から落ちたみたいで一番下で気を失っていたのを担ぎ込まれたと言われたが全く覚えていない。 ふと辺りを見渡してみる。病室や窓の外にいる大人だの子供だの、もうすぐ冬だってのにどうして皆薄着なんだと看護婦に言ったら、もう桜の季節も終わりですよと言われた。 「あなたの名前を言ってください」 「チハヤ」 「年は幾つですか」 「十七」 「家は何処ですか」 「東京」 俺は頭を打ったのか、随分長く、一日ほど眠っていたらしい。 いくつかの検査と質問の後、外見的な怪我や異常は見られないがここ数ヶ月の記憶が無くなっているようだと言われた。 何か無いかと服を探っていたら財布の中から住所が見つかった。 ……京都？ しかもその住所は自分の家らしい。なんで俺は京都に住んでるんだ家なんか借りて。 京都の『家』に電話してみたが誰も出ない。行くあても無いし、家に誰も居ないならここでもう少し様子を見た方がいいと医者に言われて結局今日も薬臭い病室で寝ることになった。 明日は親が来る。面倒臭い。 保険証を持って親が東京からやってきた。 情けないが保険証が無いと病院代が払いきれない。夜中に逃げ出せばいいとも思ったが何故だかそうするのは我慢できなかった。 悩んだが結局会計のおねーちゃんの言う通り親に電話したら明日保険証持って京都まで迎えに来るだと。家飛び出して何処をうろついてたんだと怒鳴り声と説教交じりで、鬱陶しい。 昨日の夜、天井を見ながら色々と思い出そうとした。 東京に居たはずだ。夏休みが終わった辺りで声をかけられた割のいいバイト、面接だか現地集合だかに行った。そこで何か変な機械を渡されて…………。そこから先が切り取られでもしたようにすっぽりと思い出せない。 気が付いたら、春の終わりの京都だった。 「俺の秋と冬は何処に行ったんだろうなぁ……」 山に囲まれた街、窓から緑が見える。よくテレビで見かける京都は秋の紅葉で真っ赤に染まっている。 紅色の楓の落ち葉が遠くまで続く、そんな秋の風景が懐かしく浮かぶ。 「………？」 何となく、自分らしからぬ発想にチハヤは頭を捻った。 病院の相部屋の片隅、人の気配がカーテン越しに感じられる。 何者かが近くにいる感覚がひどく懐かしい。そんなに嫌じゃない。 記憶にあるちょっと前までの自分は何時でもピリピリしていて、いらついていて、目に付くもの全てに怒鳴りつけていた気がする。なのに今は随分落ち着いている感じだ。 どうしてかなんて考えたりするのは苦手だ。 目を閉じたらそのまま眠ってしまい気がつくと朝。 不味い飯を食っていると朝一番の新幹線でやってきた母……ババァが病室に乗り込んできて人目も気にしないで泣き出した。 もっと冷たい奴だと思っていた。人目ばかり気にして俺の事なんてもうどうでもいいと思っていた。 小さい背中だ。 多分今までの俺だったらそんな物を見ても何も感じなかった筈だった。 だけど。 「悪かった……よ………」 言え、と。 誰かに背中から言われた気がした。 親はこのまま一緒に帰ろうと言ったが、俺はまだやり残した事があると答えた。 何かは分からなかったが、どうにも忘れている事がある、と。 ここ最近の記憶が無いという俺に心配だと繰り返していたが、子供じゃねぇんだからと肩を竦めて返事をして見せた。 納得した訳では無さそうだったが仕事を長く空けられないのだろう。入院費用を払い、当面の生活費だの帰るための新幹線の切符だのを俺に渡すと渋々帰っていった。 ……あの仕事好きのババァがこんな所まで朝一で来た事だけでも奇跡だと思った。 だからもう、それで良かった。 一応退院扱いになった病院を後にして、住所を頼りに俺が住んでいたらしい家に向かってみる。古臭いアパートだった。 持っていた鍵をドアノブに差し込む。鍵を捻ると錠は難なく開いた。確かにここは俺の部屋だ。 中を見回す。自分が住んでいたにしては随分とキレイな部屋だった。いやアパート自体は古臭くて薄汚れてるが、服はたたんでしまってあって、台所には洗い終わった食器が積んであって、ゴミはきっちりと分けて捨ててあって。 「………女でも居たのか？」 思わず呟く。いや男の友達かもしれないがそれにしては整頓されすぎだ、何となくだが女な気がする。 しかし、それにしては女物の荷物など全く見当たらない。 加えてなんというか気配が無い。自分以外の誰かが居たような気配というか、物の置き方というか。 確かに自分がこの部屋に住んで掃除していた雰囲気があるのだがそんな事を自分がするはずは無い。断言できる。 だがどの場所も確かに自分の物の置き方だ。意識せずに手を伸ばすとそこに必要なものがある。確かにここは自分の家で、そして確かに自分がこの部屋を掃除したり整頓していたに違いない。 「何がどうなってんだ………」 通ってる女友達でも居たんだったら絶対に連絡先の一つ位残っているはずだと部屋のそれらしい所全て探した。携帯のメモリーからメモ用紙、レシートの切れっ端に至るまで。だがそれら全てを漁ってもソレらしいものは何一つとして出てこなかった。 怪しげな電話番号もあったが、どっかの会社に繋がったので慌てて切った。 「…………あー………」 何か忘れてる、忘れている。 確かにここ半年分くらいの記憶が定かでないのは分かっているが、そうじゃなくて何かぽっかりと忘れてる。 だけどソレがどうしても思い出せない。 考えすぎて頭が痛い。 押入れの中に入っていた布団を引きずり出すとそのまま着替えもせず横になる。 「何だったっけ…………」 瞼を閉じると赤い火花が散って、その度に頭が痛んだ。 壁に貼ってあった紅葉の押し葉は何なんだろうと少しだけ思い出しながら。 真っ赤な。 何処までも、赤い枝が彼方まで連なり。 木の下には落ちた葉が絨毯のように地面を覆いつくしている。 紅葉。 いや、なんて言ったっけ。 ……かえで、そうだ楓の木だ。 楓の木が連なる道、その彼方に立つのは『あちら』と『こちら』を隔てる木格子。 その格子は紙が貼られた戸、つまりは障子。 不自然に宙に浮くそれの向こうに一つの影があった。 長い髪の……。 ―――――契約を望むなら私の名を呼びなさい 凛とした女の声。 その音、響きに確信した。こいつと契約ってのをしたら今までの自分全てが変わると思った。凄い力が手に入って、それで強くなって、何もかも自由になると思った。 自由になれると思った。 「お前と契約するぜ！楓のクレナイ！」 変わると、思っていた。 ……俺は何も変わらなかった。 何も変わらないどころか四六時中、小五月蝿い説教を聞かされる事になるとは思いもしなかった。 現れたのは『楓のクレナイ』、長い髪の女の姿をした『式神』。 要はこいつと組んで『敵』と戦うってのが仕事らしい。 とりあえず訓練場で言われた通りだらだらと妖怪退治をしていたが、明日からいよいよ仕事とかいう話らしい。 その時、先の事を考えると面倒な気分になった。 だが結局は全てがどうでも良かった。 気が付くと季節は秋。 京都って町はどうしてこんなに寺だの神社だの紅葉だのが多いんだ。 家の鍵渡されて行ってみれば適当に借りたようなボロアパートで、部屋の中には通帳と地図が置いてあった訳だが、どうやらガイドブックにも載ってない辺鄙な神社巡りが仕事らしい。 全くやってらんねぇ。 金はきちんと貰えるみたいだからやるけどよ。というよりサボる事を後ろの女が許さない。 「チハヤ！背筋を伸ばして歩きなさい！」 その辺から始まって。 「塵屑を道に捨てるとは何事です！拾ってきなさい！」 「なんてだらしない！部屋の中は片付けなさい！塵を溜めるとは何事です！」 「それは食事なのですか！ああもぅ自分で作る事ぐらい出来ないのですか！」 「その言葉使いはなんです！人様に物を尋ねる時はもっと丁寧に言いなさい！」 そんな説教に飽き飽きしたところで腹立ち紛れに道端の機械のボタンを押す。 ガタン、という音。 一時間に一本止まる程度のバス亭、その横に立つ自販機から吐き出されたアルミ缶を手に取る。観光地のジュースは何でこんなに高いんだと更にうんざりした。いい加減小言に辟易していたので落ち着こうと思って買った筈なのに逆効果だ。 こいつも命令しかしないのか。 「チハヤ」 「あーもぅ何だようるせぇな！」 ジュース缶を握り潰しそうな勢いで怒鳴る。 すっと、伸びる細道の先を指差す女。 「御覧なさい」 彼女の示す先、鳥居へと続く石畳の脇に植えられた木は全て真っ赤に色付いていた。 「…………俺に、見ろってか？」 チハヤは独り言のように言った。 また後ろで煩くされるのが面倒で、だるそうに頭を向ける。 「………………」 今まで顔を向けようとも思わずに居たそれは、とても綺麗な色で目の前に広がっていた。 ちらりと女の顔を見ると、続く道を目を細め嬉しそうに見ている。 「……アンタがオレに見ろって言ったのは」 息を吐く。下らない憎まれ口を吐くことも出来たが、止めた。 「この葉っぱが綺麗だと思ったから、か？」 自分にとってはどうでもいいことだった、目を留める前までは。 「ええ、そうです」 女は答えた。 「…………フン」 指でプルタブを立てるとガスが抜ける音がして缶の飲み口が開く。 視界の端に赤い色を掠めさせる。何も言わずに歩きながら、炭酸がキツい飲み物を喉に流し込んだ。 女が前に伸ばした指の先を、舞い落ちる木の葉が掠めていく。 綺麗だ。 空は青く、空気は澄んで、ソレを切り取るような赤い燃える様な色が風に揺れる。 女の長い黒髪が舞う、俺にしか見えない幻の女が。 誰も居ない。こんな所には誰も来ない。 刺々しさを撒き散らす俺の周りには誰も居なかった、ずっと。 だから、どうでも良かった。 「チハヤ」 名を呼ばれて我に返る。 「な、何だよ」 にこりと笑ってクレナイは言った。 「この風景にはお茶の方が良いですね」 突拍子も無い言葉にチハヤは飲みかけのジュースを吹きそうになる。 「んな事知るかよ！」 「ほら、笑った」 「アンタ………からかってるのかよ」 「いいえ」 そしてまた彼女は笑った。 「…………お前の名前、何だった」 「クレナイです。チハヤは何時になったら覚えるのですか」 チハヤは足元から一つ落ち葉を拾い上げる。 「クレナイ」 この葉っぱと同じだ。 「………覚えたぜ、もう」 それを上着のポケットに入れる。 「……これからも俺と一緒に居るんだよな」 高い空を見上げる。 「チハヤ、貴方の望みの為に」 秋の光。これから凍えていく季節。 続く石畳。 「俺は………強くなって、偉くなって………」 呟いたそれは目的ではない、手段だ。 本当はその事によって何を望んでいるのか、チハヤはまだ自分の望みすらはっきりとは分かって居ない。 「チハヤ」 いつものようにクレナイは言う。 「私の神操機を扱うのなら前を見なさい、そして己の足で歩きなさい」 今まで聞かずに居たその言葉が命令ではなく、迷い路の中見るべきものを指し示していたものであると。チハヤはやっとその時ぼんやりと気が付いた。 クレナイは真っ直ぐに前を見た。 「貴方は望みを必ず叶えられます」 柄にもなく早く目が覚めてしまった朝。 なんだかひどく懐かしい夢を見ていたような気分なのに何一つ思い出せやしない。 うぅ、と低く唸って頭を振る。 しかし唐突に。 「………思い出した」 寝床から起き上がるとぼんやりした頭で立ち上がり歩き出す。 チハヤは壁に貼ってある紙に目を走らせる。 「………………今日はゴミの日じゃねぇか」 マメなことにわざわざ回収日が壁に貼ってある。昨夜見た時に気になってたんだ。そしてもう一週間は放置してあっただろう台所脇のゴミ袋が気持ち悪くてしようが無い。 いや多分忘れていると思っていたのはそんなことじゃ無いんだろうけれど、そんな事だったような気もする。 部屋が汚いとか、規則正しく生活するとか。それはどうでもいい事の筈だけど、そうしろと説教する奴なんか誰も居ないはずなのに、何だろう、どうでもいい事の筈なのにどうしようもなくそうしようと思った。 何となく涙が出た。 大きく欠伸をして扉を開けると同じアパートの住人らしい男と出くわした。 「あ、オハヨウございます」 自分でも間抜けだと思うような挨拶をしてその男と一緒にアパート前の集積所にゴミを捨てた。 よく出来ました。 そんな声と微笑が頭の奥に聞こえた気がしたが理由も分からず眉を顰める。 でもきっとこんな風に自分は大丈夫だというのを証明して見せたら安心するんじゃないかとかぼんやりと思った。 誰が、何で、どうして。そんなのはよく分からなかったけれど。 多分取り戻せやしない半年はとても大切なものだったのだと、それだけは酷く理解していた。 寂しくて、切なくて、悲しい気分は消える事はないだろうけど。 多分もうこれで心残りは無い。この部屋を片付けて東京の親の所に帰ろう。チハヤはそう思った。 |