宿世



 彼方には霞がかる地平。陽光に照らし出されるのは何処までも連なる箱。
 足の下に広がるのは巨大な都市。
 川を干し、山を削り、地を塞ぎ、そして築き上げられた巨大な都。
 自分が立つのは夢の墓標の頂。立ち並ぶ箱の中でも群を抜いて高く、そして危うい。
 人の立つ地は遥か下に霞むが、見上げる空はここまで登っても更に遠い。
 人々が費やした夢の痕は、注ぎ込まれた思いに捨てられても依然聳え立つ。
 天と地を繋ぐ柱、地の底に続く路を作るためにこれほどの時間、これほどの力が必要だった。
 そして人が手にしたものは何だったのか。
「――――――――――――」
 鳥が一羽、この高さでは珍しい黒い鳥が男の傍らへと滑るように舞い降りた。
 一声、甲高く啼く。それは吹き抜けていく風にかき消される。
 だが男は聞いた、鳥の声を。
 その男、一人だけは声を聞いていた。






 崩れ落ちていく伏魔殿の中から連れ出された人間、自らを神流と呼んでいた者達。
 彼らは闘神士であり、それぞれ式神を従えていた。だが天流宗家、地流宗家とその仲間である闘神士達に敗れた事で式神を失いそして全ての記憶をも失った―――筈だった。
「ショウカク!ゼンショウ!タイシン!」
 マサオミ―――、いや、神流闘神士ガシンが呼びかける。
 ミカヅチセキュリティの人間達が伏魔殿より連れ出してきた神流闘神士。彼らを総括するムツキの判断か、それともかつて自分達も記憶を失い不安なまま伏魔殿をさ迷った記憶があるからか、己の所属が『地流』であっても、式神を失い倒れた者を捨て置く事はできなかったらしい。
 マサオミは彼らの名を呼びかける。……もう自分の事を覚えていないであろう事は承知の上で。
 そして一人、目を覚ます。
「ショウカク!大丈夫か?」
 呼びかけたあとにマサオミは言葉が届かないのではないかという不安に襲われたが、返ってきた答えは意外な物だった。
「お前は…………ガシン………か………?」
 薄く開いた目は覗き込むガシンの顔をしっかりと見据えていた。

 ガシンとショウカクは同じ神流と言っても全くその生い立ちが違っていた。ガシンとタイザンに比べ、そう長い付き合いでもないのだ。
 ガシンはリクの父母に助けられ天流の神操機を渡されたが、その後ガシンは神操機の力で天流の封印を解きタイザンを助け、更に伏魔殿に築かれた城砦に封印されていた千年前の神流達を長い時間をかけて助け出してきた。その中にショウカクも居たのだ。
 神流とはかつてウツホに助けられた者達とその子孫。
 ガシンやタイザンがウツホと共に隠れ里で暮らしていたのは今より千二百年前、元々ガシンは闘神士でも何でもなく、戦禍からただ逃げ惑うだけの一介の孤児だった。その頃は闘神士は主に怪異と戦うだけの存在で、彼らには何の権力も無かった。
 対してショウカク、ゼンショウ、タイシン達はウツホの里の子孫達に当たり、現在より遡る事約千年前の人間。元より『神流』の闘神士として育てられ、自分達が果たすべき宿願というべきものを先祖より引き継いでいた。それはまるで長い長い呪詛の言葉のようでもあった。
 伏魔殿にウツホそして四大天の力が封じ込められて二百年、政治的にも力を持つ集団となった闘神士たちはその頃になると天流・地流に分派し互いに争い、また同流派内でも権力の奪い合いに腐心していた。
 流派が生まれると知識の分断や各派独自の蓄積もまた生まれる。
 天流は伏魔殿の封印を守るその役割から封印や術具を生み出す術に優れ、地流は妖怪を調伏するべく攻撃の技に秀でた。そして神流、元が戦から落ち延びた者達である為闘神士としての素質を持たない者も多かったこの一団は、あくまで自分達の過去の知識や古来の術を守るのを最優先とし、それらを後に伝えるべく闘神士と式神を護る技が発達した。それゆえにショウカクの戦い方も苦境と見るや即時撤退するという姿勢が強い。戦って敵を撃破して無理に前に進むのではなく、確実に生き延びて目的を果たす為の戦い方。
 だからこそ神流は細々と記憶を伝え生き延びてこられたのだ。

 ショウカクはガシンが想像していたよりも多くの事を覚えていた。神流の事、過去に封印された者達の事。少なくともタイザンのように子供の頃まで戻ったという様子ではなかった。
 『ガシン』についてはかつて彼が伏魔殿に立ち入ったときに氷漬けの姿を見たことがあったらしい。神流に伝わる狂気にも近い詳細な記録、そして式神の言葉。
 神流は闘神機により新たな契約を結ぶものは少ない。人間達に元々闘神士としての素質が少ないのもあるが、式神もウツホに助けられあの里に暮らしていた、ウツホに対して敬愛の念を持ち助けたいと願っている者があの里の子孫達と契約を続けていた。だから神流は先の闘神士から契約を引き継ぐ形で同じ式神達と時を重ねていた。またその契約方法は人間側が多くの記憶を失わないようにする意味もあった。人間と式神、互いが合意の下契約だけに依らぬ形で共に戦い、流れる時間に抗っていた。
 ショウカクの式神ヤタロウ。ショウカクが先の闘神士から契約を引き継いだのはリクが未来へと飛ばされた地流騒乱の前後らしい。神流もまた天流地流あい争っていた時流を好機と見定め、流派の存亡を賭す程の大規模な企てとして地流襲撃を仕組んでいた。その際にヤタロウと契約していた先の闘神士は敗れたらしい。
 何かのときは元々契約を引き継ぐ心づもりであったらしくショウカクはヤタロウの事を以前から知っていて、そして今もよく覚えていた。二人が共に戦った時間の事は抜け落ちてしまっていたが。地流襲撃付近からの記憶が曖昧となるのなら、彼の中には自分達が伏魔殿に長い間封印されていた事は存在しないだろう。
 一人天流に潜伏する役目で伏魔殿の中に居た者達とは別行動を取る事が多かったガシンは、そういえばそんなような事は自分はあまり詳しく聞いた事が無かったと思い出す。
 ただ千年前の騒乱の話や、それまで神流の人間達が封印を解くために二百年色々と苦心してきたこと、それは僅かに聞いていた。
 恐らくタイザンは全て聞いていたのだろう、あの後神流として落ち延びた者達が如何なる運命を辿ったかを。だからこそ新たな世界に拘ったのではないかとガシンは思った。

 今は一体何年なのだと年号を聞かれてガシンは苦笑する。平成だと答え、そして付け加えた。
「ショウカク、今はお前達が居た時代から千年経っているんだ」
「千年――――」
 流石にこれにはショウカクも愕然とする。
「………お前が助かっているならウツホ様はどうなったのだ。ヤタロウの契約は誰に――――」
「ウツホ様は――――亡くなられた。ヤタロウは………四大天の力を得たがお前と共に地流宗家に討ち取られた………」
「――――――――」
 ショウカクは言葉を失う。
「――――――ウツホ様……!」
 ショウカクは拳を握り歯を食いしばる。
 受け入れ難い、そんな様子だ。
 目指していたもの、望んでいたもの、長い時間人々が連なる時間の中で望み血を流してきた歴史。その結果の、望まなかったであろう現実をいきなり突きつけられて混乱しているのだろう。
 突然に連なる時間の彼方、世界の果てを見てしまったのだから。



 ウツホが起こした混乱が収まった後、ガシン達は天流太白神社に身を寄せていた。
 長年のわだかまりがあるからかショウカク達はガシンとは話をするものの、天流の人間の前にはあまり姿を現さなかった。
 ガシンはマサオミという名でこの時代の天流たちとは慣れ親しんだ身、対してショウカク達は天流地流、両派に対して幼い時から敵だと教え込まれてきた。そしてなによりウツホを滅ぼした者達であるのだ。たとえ恩義を受けようとも一朝一夕に馴れ合える気にはなれなかった。むしろ彼らと何事も無かったかのように会話を交わすガシンの方が信じられなかった。
 ある日、ガシンは京都からふっと姿を消す。
「取り戻しに行ってくる。……お前達も少し外を歩いてみればいい」
 そう言い残して。
 落ち葉染まる秋も終わりに近かった。冬の匂い感じる空気。
 空を見る。かつて見ていた空と同じ色。
 突然林から鳥の群れが飛び立つ。ガアガアとけたたましく啼き喚きながら。
 烏の群れ。
 それは上空をしばらく飛びまわっていたがしばらくして何処かへと四散していった。
 山の中腹にある神社、しばらく道なりに歩くと森が切れ街の様子が見渡せた。
 時折懐かしさを感じさせる木の建物がぽつぽつと高く突き出ている。だが多くは見たことも無いような形をした家々。それがびっしりと、見渡す限り続いている。
「…………………」
 千年。かつて自分はこの風景をどう思いながら見たのだろうか。
「…………これが今の世か」
 ショウカクは誰かに呼びかけるように言葉を発して、そしてはっと傍らには誰も居ないことを思い出す。
 契約する前から視えていた。ショウカクは神流の中では珍しく闘神士としての能力に秀でていて、だからこそ地流襲撃時にも中心的な役目を負うことになった。都に潜伏し、普通の者には見えない筈の式神達と言葉を交わしながら天流地流の内部に普通の人間のふりをして調べ上げ、騒乱を仕組んだ。
 そして事は起きた。だが天流宗家が未来へと消失した事で大鬼門は開かず、企てが失敗した時ショウカクは捕らえられ、封印された――――。
 視える為か、昔からヤタロウを見つけては何かと構っていたショウカクは、成長してからも煩わしがられていたような気がした。接してくる態度も幼子をあしらうようなぶっきらぼうなもので、そしてそれがヤタロウの性質なのかと言われるとそうでもなかった。彼はショウカクの前に契約していた闘神士にはそれなりの態度をもって接していた気がした。
 思い出して、苦く笑う。
 もうヤタロウの契約者は何処にも居ない。彼は人の世との関わりを終わらせて己の世界に還ったのだ。
 千二百年、長い、長い時間、自分達神流の為にこの世に留まっていたのだから。

 太白神社に新たにやってきた子供達を遠くから見つめる。
 あれが、ガシンが言っていた同じ里の子供達。
 自分達が取り戻そうとしていたもの。
「天流と地流の宗家が封印を解いただと…………」
 自分達の為に彼らが力を使うことなど考えられなかった。少なくともショウカクの知っている天流や地流の人間達は。
 離れの宿房に寝泊りしているショウカク達の世話をしに時々やってくる幼い天流の闘神巫女。式神を伴っているのを見ると恐らく闘神士でもあるのだろう。
 天流も衰退して久しい。都を闊歩していたあの一群も現代では僅かな人数が国のあちこちに散り残っているのみで、このうら寂しい神社が天流を束ねる総本家だという。
 ガシンの姉の前で子供のような振る舞いを見せるタイザン……という名の、かつて共に戦っていたという闘神士。彼は本当に何も知らない幼子に戻ってしまったのだろう。彼は二重契約を使い切ったのだという。
 神流は契約の継続を重視する。式神との二重契約や契約移行の技もその為の物だ。尤も二重契約は式神の力を分割する事にもなり負担が大きい。だからこそ余程の理由が無い限り術法を使わないし、その契約を二つとも使い切るとは愚かとしか言いようが無い。
 ……その愚かな行為を行ってまで求めていた結果。彼が腑抜けになってまで、しかしそれでもあの仲間達を取り戻したというのなら、それはそれで意味があることなのかもしれない。
「………………」
 ガシンはふと、遠くから見つめているショウカク達三人を見つける。
 彼らはあまり自分達と関わらない。いまだに混乱しているのかとも思ったが、それよりも天流地流と深く、穏やかに関わっている自分に違和感を覚えている様子だった。
 リクが千年後に飛ばされる騒乱を引き起こした者達、だが彼らとてそんな結果になろうとは思っても居なかった筈だ。ただ自分達を救おうと、ウツホ様を救おうと、大鬼門を開かせる為に騒乱を起こした。
 結果、伏魔殿に逃れた天流宗家筋の者、リクの両親によって自分の封印は解かれ、また天流の神操機を委ねられキバチヨと自分は契約を結ぶ事になり、現在に至っている。
 自分は願いが叶った。それは直接的でないにしろあの里から逃げ延びた者達の子孫、千年前の神流、ショウカク、ゼンショウ、タイシン……、いや、自分の知り得ないもっと多くの人間達が自分達を忘れずに助けようと苦心した結果だ。
 ウツホ様の封印を解く、それによって自分達が力を得るとか、もしかしたらそんな心もあったのかもしれない。だがもう結果は出てしまった。
 命かけて求めていた結果が不完全なもので終わった時どうするのか。自らも多くのものを失い、そして得られた結果からは彼らが何も得られなかったのだとしたら。
 それは絶望なのだろうか。自分達の喜びは彼らには還元されないのだろうか。
 長い時間は、大切な人を助けたいというただそれだけのことを自分達だけの問題では無くしてしまった。
 それを思うと心が痛んだ。




 取り戻す事が出来るのかは分からない。
「ショウカク、千年前に戻れそうだぞ!」
 底冷えする冬も過ぎ氷緩みかけたある日、そう言いながらガシンが飛び込んできた。
 天流の宝具『時渡りの鏡』。天流闘神士ヤクモが先の戦いで使っていた物だ。ある程度までなら場所や時間に狙いを定め移動する事が出来る。旧太白神社が焼失した際に行き方知れずになっていた物が発見されたらしい。
 だがそれは目標の時間が遠くなればなるほどブレが生じる。約千年程前、その程度の精度しか得られないが、この時代に馴染むかも分からない多くの里の子供達にとっては元居た所に幾許かでも近い方がいいだろう。ガシンの姉、ウスベニもタイザン、ガシンと共に過去に戻る事を望んだ。
 戦の影に怯えることの無いこの時代よりも元居た場所に帰りたい。仲間が居れば何処でだって暮らしていける、新しい里を拓いてでも。
 そうしたいと彼らは決めたのだ。
「お前達も俺達と一緒に来て暮らせばいい」
 ガシンはそう言って笑った。
「……………そうだな」
 ショウカクは少しだけ笑った。

 ショウカクはガシンが去った後ゼンショウとタイシンに問いかけた。
「お前達はどう思う」
 自分達が求めていた結果とは何だったのか。
 平穏な村の暮らしか、それとも……。
「……村を一つ作るというのも、それなりにやりがいのあることかもしれないな」
 着物を羽織り胡坐で座るゼンショウは袖を捲り恰幅がいい身体を誇示して見せた。
「そうだな………我らはここに居る事が合うとは思えぬ」
 仲間の前ではタイシンは顔を隠していた布を外している。不快とも言わないがどうにも判断がつかなそうな表情をしていた。
 二人は元々先の戦い半ばで天流地流に敗れている。だからこそショウカクがヤタロウと契約していた頃の事を僅かだけ覚えていて、ショウカク達を横から見ていた時の事を何かの折に当人に語って聞かせていた。
 そして千年前の事、都が焼け落ちる以前までについてはよく覚えていた。神流の生い立ちや如何に祖先たちが天流地流を憎んできたかも。
「戻るのは当然……と言いたいが。そんな顔で聞いてくるって事はショウカクはどうなんだ?」
 ゼンショウが難しい顔で問いかけてくる。
 ショウカクの顔は浮かないものだった。
「――――ずっと……『全て取り戻せる』と、己に言い聞かせていた」
 戦いの先にもたらされる結果、それは十分に満足いくものであるといつも思おうとしていた。
 ウツホ様が天流地流、そしてガシンにまで―――敵対して戦った理由。
 自分達が信じて救おうとしていた神とも思える力と美しい心の持ち主は、人の裏切りの為に悪鬼と化していた。
 あの方を助ければ自分達神流の子孫は苦しみから救われる、そう信じて一族は苦しみや謀略を企てる事にも耐えてきた。
 だがその結果は―――――。
 人々の恨みやあての無い希望そして絶望を重ね都を焼き、挙句式神を失い、何を得られたのか。
 元々ウツホ様を助ければ全てが戻り幸せになれるという祖先からの言い伝え、いや、妄執は、ガシン達を見捨てて逃げなければいけなかったという仲間達への悔恨の念が生み出した子孫への呪いだったのかもしれない。
 そしてショウカクは薄々その事に気がついていた。言い伝えとは全く異なるウツホの影を見た、元天流宗家であったライホウの前に立つ禍々しい姿を見たあの時より。
 だがもう後戻りは出来なかった。
 ガシン達、罪の無い子供達を封印から解放できたのがせめてもの救いか。
「戻った所でこの結果を知ってしまった自分達に何が出来よう。そして我々は千年前の天流地流から追われていたという身」
 組織に壊滅的な被害を与えられた天流地流は執拗な追討の末にショウカク達を捕らえ伏魔殿の城砦に生きたまま、ウツホを信奉する式神もろとも封印したのだという。
「……………………………」
 タイシンとゼンショウは表情を硬くした。
「…………帰って、待つ者も居るまい」
 地流襲撃の後まで生き残った者は数少ない。
 企ての前、戦う事を嫌った者や女子供は素性を捨て野に散っていった。騒乱に賛同したものも捕らえられたか逃げ延びたか―――。居所は定かではないだろう。
 あれほど憎んでいた他派の闘神士達は地流襲撃という事件の後勢力を弱め、そして現代に至ってはもう見る影も無い。
 あの騒乱の目的が復讐だったとしたら、もう終わったのだ。
 虐げたもの、虐げられた者、愚かしい出来事に翻弄された人間達はもう骨すら土に還ったというのに、その子孫達は血を流し続けた。
 戻ったなら今起こってしまった結果をひっくり返す事も出来るのではないかと考えなくも無い。
 ―――否。
 それは出来なかった。
 人々が生きているこの世を再び消し去る事、天流地流、そして神流が手を取りあい笑っている今を、笑いながら人行き交う町を、再び燃やす事など出来なかった。
 真実を知り結果を一度得てしまった今。
 全てを無くしてしまいたいと考える事はあっても、それを再び実現させる事は出来なかった。
「因果巡り我等が辿りついた十万世界の果て、その末を行ける所まで見届けるのも―――新しい望みとしては悪くあるまい」
 ショウカクはそう言って、窓の格子越しに見える空に視線を投げた。
 何にも囚われる事無く鳥が飛ぶ空。
 捨てなければならない物、捨てずに持ち続けるもの。
 多くの痛みだけではなく、多くの代えがたいものがあった。
 それらを守る為に、捨て去るべきものを捨てようと決めたのだ。




 ショウカク、ゼンショウ、タイシン。三人は元々タイザンの持っていた家に身を寄せる事となった。元々神流の人間が秘密裏に集うのに不都合無いようにと考えられた敷地と建物だった為東京の喧騒から程離れ、日本家屋の色を多く見せる造りになっていた。
 日本家屋的な造りだといっても千年の昔とは大分異なる。
 今はまだ身に着けている衣服は昔のまま。式神を持たなくても妖怪の気配を察し闘神符が使えるのならばムツキの元で十分に働ける。
 妖怪払いの仕事を受ける時だったらまあハッタリも効いて良いでしょう、と、彼らを預かる事になるミカズチセキュリティのムツキは苦笑した。
 だがやがて彼らもこの時代の衣服に袖を通すようになるのだろう。かつて自分がそうしたように―――そう、ガシンは思う。
 変わっていくのだ。何もかも留まる事無く。
「さらばだ。………もし我らを知る者に会う事があったならば、我々は追っ手の及ばぬ遠い場所で元気に過ごしていると――――」
 過去に還って行くガシンに何通かの文を託し、ショウカク達は別れを告げる。
 子供達もショウカク達のことを好いていた。
 この人たちは皆を助ける為に頑張ってくれたんだよと、あの家に住んでいたおじさんの孫の孫なんだってとガシンは子供たちに教えた。
 その為に彼らが何をしたのかは、誰も言わなかった。
 一緒に行こうよという声を笑顔で柔らかく断り、そして呆けてしまったタイザンに歩み寄る。
 この男が恐らく多くの出来事の元凶。
 だが彼の取り戻したかったものに囲まれて、そして深く息を吐く。
 全てを忘れ、そして過去に還って行く者。
 憎くもあり、哀れでもあり、悲しくもあった。
 彼は多くを取り戻したのだろう、しかし己は何もかも失ってしまったのだ。
 時間、記憶、式神、……全てを。

 時渡りの鏡が輝き空気が歪んだ。
 そして還るべき者達は過去へと還っていった。跡も残さず。




 月の明るい夜。
 三人は明日、京都を離れトウキョウと呼ばれる都へと旅立つ。
 息を吐くとまだ白くなる季節。
 夜啼く烏が木の枝に止まっていた。
「神流の式神達は――――。ずっと私達の為に戦ってきた」
 誰に言うでもなくショウカクは呟く。
 契約を引き継ぐ事で親から子へ、人から人へ、神流の為に長く働いてきた。
 目を閉じる。瞼に降り注ぐ月の光。
 ヤタロウ、マガホシ、カンタロウ、キバチヨ、オニシバ―――。
 多くの式神が我々の望みの為に戦った。そして望みを叶えるが為に神流は契約を失った。
 ……もう、望みは叶ったと、満了したと伝える事すら出来ないのかもしれないが。
 この時代で失った契約、ガシンと共に帰って行ったキバチヨを除けば、式神達はこの時間に存在しているという事になる。
 長い時間神流に仕える形で共に在り日々を重ねた彼らを残して、自分達だけ過去に帰ることは耐え難かった。
 彼らがここに在るなら、自分もまた残ろう。
 例え二度と逢えることが無かったとしても―――――。
 それが、彼をこの時代に留まらせる事になった大きな理由だった。
 突然羽音がして顔に影が落ちる。
 はっ、とゆっくりと瞼を開く。
「ヤタロウ――――――――」
 呟くのは懐かしい長身の黒い影の名。
 それが、見えた気がした。
 舞い降りてきた夜烏。一瞬落ちた影はその鳥のもの。
 忘れてしまった罪を償う為だけに生きていく気は無い。だけど忘れ去ってしまったものを無かった事だと思うつもりも無い。
 起こってしまった事は信じて行った事の結果。
 その道を共に歩んでくれた隣に立つ者に多くの感謝と、後悔と。
 いつか再び会えることを祈りながら。

 烏は夜の空に飛び立ち、啼く。

 同じ空の下に立つ、その事を思う。見上げる月の下いつか同じ夢を見ていた。
 千年の昔から、今の世までずっと
 もう覚えていない、何を語らったのかは。ただ馳せる夢はとても楽しいものだったのだろうと思いたい。
 血を流すものではなく、誰かを泣かせるものではなく。
 失われたもの全てを取り戻し、全ての笑顔が戻る夢だったと。






 舞い降りてくる烏。
 地流、ミカヅチの建てた巨大な建造物。螺旋に捩れたそのビルの屋上に描かれているのは大極図の文様。
 その頂から下界を見下ろすショウカク。
 夢の跡。


 長く、ウツホの為に仕えた烏の式神にウツホはその望みを聞いた。
「――――ならば、契約を」
 ヤタロウが望んだのはショウカクとの契約だった。
 彼の者の瞳はは幼い時より自分を見上げていた。どうしようもなく愚かに全てを取り戻せると唱えるその望みを―――叶えてやりかった。
 ウツホにとって式神の契約を書き換えることは容易い。ウツホとの契約にも似た主従とは別に、ヤタロウは神流で引き継がれ続けた古い契約ではなく、改めてショウカクとの契約を望んだのだ。だからこそヤタロウはウツホが甦った後ショウカクを敬意を持って呼んだ。
 その時に四大天の力を与えられたヤタロウにその力が残っていたのか、ウツホの力が何か働いたのか、伏魔殿よりあふれ出た力がまだ人の世に残っているのか。
 何にしろ、人の世にさ迷い出た式神は行き場もなく闘神士の元へと辿り着く。
 もしも彼が式神と新たな契約を望んだなら再びその前に立てるかもしれない。地流宗家に破棄されたのは古い契約で、今だ彼との契約は二重として書き換えられたまま僅かに生きていた。尤もあの騒乱の後だけに余りにも不安定で、ショウカクから全ての契約分の記憶が失われ、当のショウカクすら今の状態を察していないこの有様では他所から呼ばれたならばどうなるのかは分からなかったが。
 なるようになるだろう、彼はこの時代に残ったのだし。長い付き合いだ、もしかしたらまた思いもかけない事で会う事になるかもしれない。
 ヤタロウが敗れたと聞いたあの時より神操機を触ろうとしないショウカクがまたいつか前に歩き出そうとした時、何事かが起こり驚く顔を思うと妙に可笑しかった。
 失うばかりでも、悪い事ばかりではない。
 人はそうやって生きてきたのだ。ずっと長い間。


 長い長い夢。過去と、そして現在。
「――――――」
 空に舞い上がる烏。耳に届く啼き声。
 変わり行く時間の先に何があるのかは誰も知らない。
 遠くへ飛び去る烏の姿を見送るとショウカクは冠を正し歩き出した。
 眼下に広がる街で、仲間と共に生きていく為に。







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